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院長の自己紹介:私が医師になるまで②

 皆様、改めましてこんにちは。十日町ようへい内科クリニックの院長、中本洋平です。今回の「院長のひとりごと」では、私がアスリートから医師を目指すまでの道のりを、少し振り返りたいと思います。

画像はAIで作成しています


「アスリートとしての挑戦と山形とのご縁」

アスリート生活は、なかなか楽なものではありませんでした。スポーツクラブでの指導や学習塾の講師として働きながら、トライアスロンに全力で取り組む日々。経済的には決して楽ではなかったものの、「なんとしても優勝したい!」という強い気持ちで挑んでいました。

その活動の中で、山形県酒田市で開催された大会に出場し、そこで連覇を達成することができました。山形とは今思えば、この時からご縁があったのかもしれません。そして、全国大会の日本選手権でも最高2位に入賞し、オリンピック強化指定選手としての活動も経験しました。

「アスリート生活での試練と挫折」

とはいえ、順調なことばかりではありませんでした。優勝を狙った日本選手権では、コースを間違えてしまい、悔しい結果に終わってしまったことも。また、原因不明の体調不良や度重なる怪我にも悩まされるようにもなりました。また、当時の住まいは、知人のご厚意で借りた4畳の風呂なしアパート。お金もなかったため、エアコンなし、夏は蒸し暑く冬は凍えるほど寒い中で生活していました。ネズミが柱をかじり、屋根裏にはスズメバチまで住み着いていたことも。自分の今後について考え直す機会が増えていきました。

「アスリートとしての成功への情熱と、医師の道への転換」

大学院時代、私は運動生理学の研究に没頭していました。スポーツと体の関係を探究する中で、医学への興味も少しずつ芽生えてきたものの、その頃の私は何よりもトライアスリートとして結果を出したいという思いが強く、医師を目指すことまでは考えていませんでした。「アスリートとして成功したい」という情熱が、当時の私を突き動かしていたのです。

しかし、プロとして本格的に競技に取り組む中で、次第に自身の体調や健康への意識が深まり、怪我や体調不良のたびに医学の知識の大切さを痛感するようになりました。選手としての視点も持ちながら、体を守り、ベストなパフォーマンスを引き出せるサポートができたらどんなに素晴らしいだろう――「スポーツで学んだことを、医師として社会に還元したい」そう考え始めるようになったのです。

とはいえ、医師になるまでの道のりは決して平坦ではありません。年齢や周囲の若い学生たちの存在、医学部入学への数々のハードルに不安は尽きませんでした。それでも、これまでの経験を誰かの健康に役立てたいという思いが強まり、「一歩ずつでも進んでいこう」と決意しました。そして、アスリートとしての活動を少しずつ縮小し、受験勉強に打ち込む日々が始まったのです。

「医学部を目指して」

受験勉強を始めたものの、周りは一回りも年下の高校生ばかり。少し恥ずかしさも感じつつ、同じように社会人を経て医師を目指している仲間もいたため、大きな励みになりました。センター試験当日、気合いを入れるため台所の流しで顔を洗いましたが、実は水しか出なかったのです。今思えば、当時の自分にとってはこの“水で顔を洗う儀式”が、すべての始まりだったかもしれません。自転車で試験会場へ向かい、最後まで頑張りました。

私立大学は全て不合格でしたが、最後に受けた新潟大学に合格。晴れて医学生としての道を歩むことができました。


次回は「総合内科医を目指して」というテーマで、私が総合内科医になろうと思った理由や過程についてお話ししたいと思います。今後も、皆様にとって親しみやすく、頼りにしていただける存在となれるよう努力してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

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